僕の夢の話。

は夢を見ない。

眠りが浅いとか、単純に覚えていないとか。色々な要因はあるのだろうが、朝目を覚ました時に、「いい夢だった」とか「もう少し見ていたかった」という感想が出てきたことは、少なくともこれまでほとんどない。そしてごく稀に見る夢、目覚めた後に覚えている夢は、大体いつも決まって二種類に分けられる。

一つは、「卒業できない夢」。ありきたりな話かもしれないが、大学生の時、僕は卒業ができるかどうかが常に不安だった。ただ、別に単位がギリギリだったという訳でもなく、それどころかかなり余裕はあったと記憶している。例えば、大学のシステムに何かの間違いが起きて、大学最後の期末考査で全ての科目の単位を落とす、などという事がない限り、僕の卒業は安泰なはずだった。それでも僕が、特に四年生の後期、留年という薄暗い不安にいつも苛まれていたのは、きっと親の顔色を伺っていたからだろう。

僕の実家は、特に貧乏という訳でも裕福という訳でもない。と、子どもの頃は思っていた。ただ、僕は奨学金を借りて大学に通っていたので、それなりに家は貧しかったのだと思うし、キッチリ返済義務のある奨学金しか借りれなかった僕の頭は物事の、特に学習面での理解力に乏しかった。しかしそんな理解力の乏しい僕の頭でも、就学の費用という意味で、留年することが退学することに等しいという事だけはしっかりと理解できていた。

当時、一人暮らしはしていなかったので、形の上では実家から大学に通う事になってはいたが、大学三年になってからは、一年の内のほとんどを当時半同棲していた彼女の家や、一人暮らしの友人から通っていた。家に帰るのは多くて月に一、二度。それも平日の昼間に帰っていたので、父親と顔を合わせることはほとんどなかったが、母親とはたまに顔を合わせることがあった。僕の顔を見ると決まって母は「きちんと学校行ってるの。卒業できるの。」と聞いた。僕も僕で、定型文の様に「もちろん。全く問題ないよ。」とだけ答えて、必要な荷物を回収した後、家を出た。

「親とそりが合わない。」「仲が悪い。」「反抗したい。」と思ったことは、ただの一度もない。子どもの頃からいつも「親の機嫌が悪くないか」にだけ注意して生活していたので、「歯向かう」という発想自体が出てこなかった。つまり、「親が怖かった」。だからといって、これまでに親に暴力をふるわれた事などはない。虐待などもっての他だ。僕と親の関係が少し噛み合わなくなってしまったのは、そんな直接的な痛みや悲しみが原因ではなく、冒頭で述べた、「二つの夢」の二つ目が関係している。

その二つ目の夢とは、幼い僕が、「家の中で泣いている夢」。

心細くて、夜が怖くて、ベッドの中で小さく丸まって、泣いている夢だ。

夢の中では、僕は第三者視点で、「眠っている僕」をただ見ている。何も起きたりはしない。ただ真っ暗で静かな家の中で、小さくなって泣きながら眠っている僕を、今の僕がただ見ている夢だ。

 

少年時代、うちの両親は共働きではなかったが、父親はかなり時間の融通が利く仕事で、毎日15時過ぎには家に着き、着替えたらすぐに、家で待機している母親を連れ立って、当時隆盛を極めたパチンコホールへと出かけて行った。結果的に、いつも僕が小学校から帰宅した時には、迎えてくれる家族はおらず、メモ書きと共に夜ご飯とスナック菓子が置いてあるだけだった。律儀に毎日用意されたお菓子は、彼らなりの罪悪感の証だったのかもしれない。夜ご飯を食べ、一人で風呂に入って、眠る。そうして朝になると、まるでずっとそこに居たかの様に、母が僕の横で微笑んで、優しく声をかけて起こす。もちろん例外もあったが、そんな生活が小学1年生から6年生まで続いた。

そしてそんな生活リズムは、休日もさして変わりはなかった。休日に父親とサッカーをしに出かけた、母親と弁当を持って公園に出かけた、などの記憶は、持っていない。もしかしたら一度や二度あったのかもしれないが、僕が持っている少年の記憶は、休日のほとんどを家で一人でゲームをして過ごしている記憶だ。たまに外に出るとすれば、家族と一緒に遠出などではなく、一人で友人の家に遊びにいく時だけだった。僕が帰っても一人だと理解していて、あまりに家に帰りたがらないものだから、おそらく友人のお母さんも何かを慮ってか、夜ご飯も食べさせてもらうことが多かった。それが同情だったとしても、もちろん今でもとても感謝している。

普通の子どもと同様に最初の内は「一人は自由で快適だ、好きなだけゲームができる」などと思っていたとは思う。しかし4年、5年とそれが続くと、

「ここまで一人で置き去りにされるということは、自分は愛されていないのではないか。」と思う様になった。

それからはとにかく怖くなって、学校から帰宅後、毎日「お父さんとお母さんは、もう帰ってきてくれないかもしれない」と不安に思うようになっていた。不安でいてもたってもいられず、遠くまで見通せる様に、2階のベランダに座布団を敷いて、毎日親が帰ってくるのをじっと待った。滅多に車の通らない住宅街だったので、遠くの道路で車のライトが光ってこちらに向かって来る度に、一喜一憂していたのを今でも覚えている。僕が諦めてベッドに入るまで、ほとんど車が通らない道にも関わらず、他人が乗った車は毎夜何十台も僕の前を通り過ぎて行った。

そんな生活にいつしかしびれを切らして、一度勇気を出して、洗い物をしていた母親に訴えた覚えがある。

「もう僕はお菓子なんていらないから。それはいらないから、お願いだから夜ひとりにしないで。」

母親は、曖昧に微笑んで、「あなたはもうお兄ちゃんだから。」と言って、エプロンで手を拭きながら、その場からバツが悪そうに立ち去ってしまった。母親にとっては、単なる息子の気まぐれで、なんでもない些細な我儘であり、深刻な問題なのだとは思いもしなかったのだろう。今になって考えると、何があれほど怖かったのかはわからないし、どうしてあれほど毎日悲しかったかはわからない。同じような境遇の子は沢山いたのだろうと思う。

ただ、家庭についての悲しさや寂しさは、他の誰かと比べたりするものではないだろうし、少なくとも当時の僕にしてみれば、毎夜の親の不在は百年の孤独と同義だったし、勇気を振り絞っての申し出を却下された事は、世界の終りに等しかった。

そこから僕は、親に反抗はできなくなった。そして、愛されているかを聞くこともできなくなった。万が一「愛していない」という答えを言われてしまったら、大げさではなくその場で家から追い出されてしまうと思っていたからだ。そんな質問をする子供は、面倒に感じるだろうと思ったからだ。学校の宿題や友達との人間関係ではなく、自分の明日の衣食住について真剣に心配する。そんな小学生だった。客観的に考えてみると、当時の僕は、少し感受性と想像力が豊かで、少し情緒不安定な子供だったというだけのことだと思う。自分が悲劇の主人公であると、ヒロイックな感情に酔いしれていた可能性も否定できない。今は冷静に考察や分析ができる。しかしやはり当時の僕にとって、家族は「安心をくれるもの」でなかったことはたしかだ。

ただ、今でも親に感謝しているし、尊敬している。でもそれは、普通の親子関係と恐らく少し違う。僕の敬意は、「取り立てて自身にとって重要ではない僕を、成人するまで養ってくれてありがとう」という、捻くれた考えに起因している。それはなんと、少年からおっさんに変わった今でも変わっていない。僕が仮に当時の親の立場なら、「別にそれほど大事でもない人間」を、20年も養っていくことなど、とてもできない。

親に伝えた事はもちろんない。もしそれを伝えたら全力で否定することも想像に難くない。「そんな訳がない。愛していた。」と。しかしそれはもう、今の僕にとっては大きな問題ではなくなってしまった。僕が今になってどんな愛情を親から伝えられたとしても、当時の、毎日の様に夜一人で泣きながら、布団にくるまって怯えていた小さな自分を、慰めることはできないからだ。

 

今、人の親になった僕は、息子と娘にとってどんな父親だろうか。「いい親」でいられているだろうか。「いい親」とはどんな人のことを言うのだろうか。

自分があれだけ「親と一緒にいられない家庭」を嫌悪し、悲しんでいたにも関わらず、現状は僕も妻も、仕事で家をあけることが多い。子どもにとっては、自分たちの相手をしない事の理由など、遊ぶ為だろうが、仕事だろうが、関係がないのは間違いない。

同じ事を、繰り返してしまっているのかもしれない。

ただ一つだけ違うことは、まだまだ小さな彼らの世界の中で、親がどれ程に重要な存在であるか。僕はそれを、痛いくらい知っている。

彼らがもう少し大きくなった時、「自分達は愛されていないのではないか」とだけは思ってほしくない。どれだけ忙しくても、なんとか隙間を縫って、毎日彼らに何かの形で愛情を伝え続けたい。少しでも長く会話ができればいいし、その時間すら無ければ、一度のハグでもキスでもいい。愛情に関する疑問自体を、生じさせたくない。

教育に関して言えば、「意識低い系」だと自覚している。社会に貢献する人間に育って欲しいなどと思っていないし、勉学に励んで財を成して欲しいとも思っていない。そもそも自分が綺麗な人間だとは全く思っていないし、人生は少し薄汚れていた方が面白いとさえ思っている。ゆえに、彼らが穢れない大人に育つべきだとも、特に思っていない。

ただ一つだけ叶うならば、例えば今の僕くらいの年齢になった彼らが、少年時代を思う時。「親父は鬱陶しかった」と、思ってほしい。

なにかとしつこいくらいに自分に関わってきて、いつも何かを自分に伝えようと必死で、自分の、どんな話でも聞きたがった。そんな父だったと、思い返してほしい。

”夢の中の子供”を救う事は、もう出来ない。それでいい。

それでも、同じ夢を彼らが見ることだけは、決してないように。

幸せな夢を、僕の代わりに見て、感想を聞かせて欲しい。

彼らのどんな話も、僕は聴きたいから。

 

 

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