米津玄師のツイッタ―を覗いていると、結構名言が多いことに気付きました。
名言というか迷言というか厨二というか。
世の中の多くの才能は厨二で成り立っていると信じて疑わない僕としては、チェックしない訳にはいきません!
という訳で、現存しているツイッタ―ログを最初から遡って、米津玄師名言集をまとめました!ホント僕って暇な奴だよな!!!
ただ、楽曲制作の根幹にかかわる部分とかにも触れているので、ファン(になりかけ)の人などは結構見ていて楽しいんじゃないかなと思います!
ちなみにあくまで僕のブログなので、感想などもそっと添えていますが、これは完全なる憶測であり、妄想です。
ではどうぞ!
米津玄師 名言集【ツイッタ―編】
キャラクター、オリジナリティについて
自分らしさとか、オリジナリティとか、そういう言葉があんまり好きではなくて、安易に使いたくないなあと思ってる。 https://t.co/xN33QXQVL9
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2015年10月11日
客観的な視点や批評性のない自分らしさなんてまやかしだと私は思いますよ。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2018年4月14日
そもそもの「自分らしさ」なんてものは、過去の自分が発信した物の結果であって、これからの自分が発信する物とは関連性がない。先入観で見られたくない、決めつけて欲しくないということかもしれませんね。
言葉の定義について
言葉というのはドリップしたコーヒーのようなもので、頭やこころの中にあるものを濾過した末に残ったものでしかない。言葉にするのであればできる限り正確に伝えたいと思うけど、そもそもコミュニケーションの本質は誤解であって、真意を伝えようなんて考えること自体がおこがましいのかもね。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2015年10月17日
愛情という言葉を掲げさえすれば暴力も逃避も立派に見えてしまう。どんなしょうもない生き様も「愛があるから」で片付けようとする人とは話ができない。愛情という言葉が自分の弱さをねじ込んで隠す隙間にならないように。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2017年11月17日
子供の頃から自分の中に積み重なったもののうち、もう取り返しがつかないものを信念と呼んで片付けているだけなんじゃないか。自分は今一体どこにいるのか、これから何がしたいのかと考えるのはとても大事だと思う。卑近なものはくだらないと一笑に付すのは簡単でしょう。簡単なものはつまらない。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2018年7月9日
「言葉」、「愛情」、「信念」など、普遍的な定義が存在するものについて、自分なりの解釈を発信することも多いです。
誰かが決めた言葉の「表面」だけを切り取って、なんとなく解釈していませんか?という問いかけのように感じられるところがありますね。
歌詞もそうですが、それこそ「言葉」を重要に扱う彼らしい発言ですね。
自分の変化と、変わらないもの
何かを手に入れる為には何かを捨てなきゃいけない。昔のひとが言った「死守せよ、だが軽やかに手放せ」という言葉に共感する。停滞は衰退とほぼ同じこと。なんとなくこのままでもいいとぼんやりしてる人より、より新しいものを探してる人の方が好きだ。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2017年8月30日
2012年くらいに使ってた歌詞を書くためのメモ帳を読み返してみたら「さらば掲げろピースサイン」と乱暴に書いてあるのを発見して、あーその頃からあったのかと驚いた。千と千尋の銭婆が言っていた「一度あったことは忘れないものさ思い出せないだけで」という台詞を思い出す。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2018年1月20日
彼自身の中の本当に根底にあるもの(≒音楽性)は変わっていないかもしれないが、音楽ジャンルや表現の仕方や発信の仕方は常に移り変わっているように思える。
事実彼も、停滞は衰退と認識しているようだ。確かに、エンタメ業界に身を置けば、現状維持ではファンをすぐに飽きさせてしまう。「停滞」がダイレクトに自分の成果に響く世界だからこそ、この思いをより強く持っているのかもしれません。
子供の頃の話
かすかな灯りを頼りに暗い道を歩いたとき、目の前の地面に掛かる影が本当に真っ黒で、足を踏み入れると地球の裏側まで落っこちていってしまうのではないかと思ったことがあった。階段を下りきったと思ったらあと一段残ってたときみたいに体が不意に沈む感じがして恐ろしかったのを憶えてる。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2015年11月17日
音楽にしろ絵にしろ、今作っているものを小学生のころの自分に見せたらなんていうかなあとよく想像する。わかんねえって言われるかな。どうだろうな。たとえ伝わらない部分がたくさんあったとしても、最終的に「それでもなんかいいね」って言ってもらえるものでありたい。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2016年12月23日
楽曲の中にも頻繁に登場するんですが、現在の彼から少年時代の彼への問いかけや「対比」、果ては子供の頃に感じてた社会への疑問などが、発言の中に多いと感じます。
おそらく彼のアーティスティックな性質は、全面的にポジティブでは決してなかった少年時代と決して無関係ではなく、それこそ現在の彼の芸術性の源流となっているものなのでしょう。
人生観について
自分の中に孤独を飼ってない人は、たとえ表面上は朗らかで外向的な人だったとしても、他人に対してどこかぼんやりしている。自分がどこからやってきたのか?疑問に思わない人は弱い。内側を見つめていけばいくほど、不思議と外の道に繋がってる。あなたは誰だと自分に問いかけ続ける人が好きだ。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2016年5月17日
寿命に期限があるからわたしら人間は辛うじてまともでいられるのであって、なんでもしていいですよ、いつまでもいていいですよなんて言われたら、デパートでお母さんとはぐれた子どもみたいにえんえん泣いてしまうだろう。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2017年2月5日
人は「孤独」であるべき、そして人生は「有限」であるべき。あまりポジティブな話ではないと思いますが、これらのことは決して彼にとってネガティブな話でもなく、「人」や、「人生」においての本質的な話で、世の中のほとんどの人がそれらを勘違いしていると感じているのかもしれませんね。
影響を受けた人物について
wowakaさんがボーカロイド界隈に与えた影響は相当なものがあって、彼が「ボカロっぽい」という概念を作り上げたのだと思う。僕も例に洩れずwowakaさんに影響を受けた人間の一人として、最大級の敬意を感じてる。とにかく最高。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2017年8月22日
3月のライオンが僕にとって特別であるもう一つの理由として、敬愛してやまないBUMP OF CHICKENが第1クールの主題歌を担当していたことがあります。彼らからバトンを引き継げることに、本当にワクワクした気持ちでいっぱいです。放送が楽しみだ。どうかよろしくお願いします。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2017年1月7日
米津玄師がBUMP OF CHICKENやRADWIMPSに音楽面で影響を受けてきた、というのは割かし有名な話ですが、自身が世に出るきっかけになったボーカロイド界隈、その始祖とも言えるwowakaさんにも多大な影響を受けているようです。
その他のツイートで、wowakaさんについては、人間的にも話が合うし尊敬できるという様な主旨の発言もしていますね。
一般的な価値観と対極に自分を置く
夢は必ず叶うとか努力は報われるとか、体のいい言葉を目にすれば「そんなわけないじゃん」と思うけれど、そういう言葉が必要である場面は想像も理解もできる。様々な役割と状態の中で、自分はたまたまそういう厭世的な方についてるだけで、世の中がみんな厭世的になったら自分は楽天的な方につくはず。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2018年7月9日
音楽にしろ言葉にしろ、必要なときに必要なだけ形にできる技術を持っていたいと思う。今この瞬間を逃すと二度と出会えないものをできる限り取りこぼさずに済むように、今日も人が好き好んで入らないようなところにズイズイ入り込んでいく。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2017年3月29日
途方もない歴史の上、様々な試行錯誤と研鑽が繰り返されたその極北である現代のトップ棋士が、わりとあっさりプログラムに負けてる姿を見ると、非効率な人間の脳みそを思い知るけど、その分まだまだ人間には計り知ることのできないものがたくさんあるという事実に興奮する。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2016年3月13日
やはり、どこか天邪鬼なところがあって、それは厨二的な思想が根底にあると僕は思っているんですけど、米津玄師だけでなく、現代において「才能を感じる人」って、ほとんどが廚二的な思想を元に行動していると思っています。
「人と違うこと」は、危うさと稀有さの紙一重のところに位置するものかもしれないですね。
ニコニコ動画・ボーカロイド界隈について
ニコニコ動画のプレミアム会員数は徐々に減少してきていて、すぐそばにはYouTuberのような混沌とした魅力を持った界隈がある。僕は評価というのは相対的な視点からは逃れられないと思っていて、その点どうしてもボカロ界隈、ニコニコ動画が比較的に沈んで見えてしまう。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2017年9月15日
もっとボカロが面白く見えるにはどうしたらいいだろう?と考えた結果、僕にできることは「砂の惑星」を作ることなんじゃないか、という結論に至りました。ボカロ出身でいてボカロの外から何か言える人間ってそんなにいないし、そもそもマトリョシカもパンダヒーローも「世の中ファック!」の曲だった。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2017年9月15日
何様だよって感じかもしれないけど、もし憤ったクリエイターがいたなら、僕の主張なんて吹っ飛ぶくらい面白いものを作ればいい。それによりハチはああ言ってたけどボカロ全然大丈夫じゃんって周りに言わすのが面白いんじゃないか。
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2017年9月15日
結構批判された「砂の惑星」事件(?)についての言及ですね。
米津玄師本人が言っている通り、本心は「ボカロ」界隈がもっと活気づいて欲しい、盛り上がって欲しいというところなんでしょうが、人によっては「米津はボカロを捨てた」と解釈している人もいるでしょう。
そういう方からすると「ボカロ」出身だろうが、今は完全に「外の人間」な訳で、一方的な批判と捉えられるのもしょうがない面あるでしょうし、難しいですね。
よく米津玄師が発言する「価値観の違いなのでしょうがない」というところに落ち着くしかないのかなと。
まとめ:感想は妄想
米津玄師のツイッタ―を辿っていくと、結構な頻度で「面倒」という単語が出てくるんですよ。
実はこれネガディブな意味だけでなく、ポジティブな使い方をすることもあるんですけど(忙しいという様な意味で)、「面倒」を多用するのって、やっぱり人生についてちょっと斜に構えているというか、客観視している面があるんじゃないかなと思うんですよね。
楽曲制作やその拡散の仕方だけでなく、人生観や人間関係についても、なんとなく第三者視点で物事を見ている節があるんじゃないかと思わされることがあって、でも実はそんな視点はある意味「造っている」だけで、本当はとても人間臭い人間なんじゃないかと思えるところもある。というようなギャップや二面性、例えるなら「芸術」と「生活」という正反対の物事が同居しているところが、彼の最大の魅力なのかなと思ったりなんかもしています。
あれ?なんかオレキモいな?
いや大丈夫。ここは僕のウェッブサイトだから。
あ、あと割と有名な本田圭佑への言及については取り上げません。
「僕はそれについて、答えを持っていないから。」という単純な理由です。
では最後に。
自分が信じる美しさを!
— 米津玄師 ハチ (@hachi_08) 2016年12月5日
おわり